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散る桜の話

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桜も盛りを過ぎ、散り始めている。

今年はお花見らしいお花見もできなかった。お花見は好きなので悔しい。

お酒を飲んで桜の下でゆっくりと時間を過ごす、そんな贅沢をしたかったが、この楽しみは来年まで持ち越すこととなった。

 

花見に関して、西行がこんな和歌を詠んでいる。

 

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の 咎にはありける

『山家集』八七 西行

「花見に人が大挙してやってくることだけが、あえていえば桜の唯一の罪であり、残念に思うべきことである」

 

うちの周辺は閑静な住宅街なのだが、近くに桜が綺麗な広場がある。つい先日、21時近くになっても花見で大騒ぎする軍団がいた。早寝する人は寝始める時間帯だろうに、飲めや歌えやの祭状態で、結局通報されたのだろう、警察にしっかり叱られていたようだった。お花見が楽しい気持ちはわからんでもないけれど、周りに迷惑をかけてはいけない。いい大人は特に。

花見を理由に人が集まって、ご飯を食べたりお酒を飲んだり、やがてはガヤガヤ騒ぎ出す……その光景を見て、なんだか西行の言っていることがわかるな、と思った。

桜はできれば一人で静かに楽しみたい。大勢でワイワイ飲むのも好きなのだが。根が暗い人間なので。

 

わたしは、桜が散る様が一番好きだ。

 

桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ

万葉集』 巻十・一八五五 詠み人知らず

「桜の花は、まだ盛りの時は過ぎていないのに、恋しいと思ってくれる人がいるうちに、今がその時だと思って、散っていくのだろう」

 

桜は枯れない。めいっぱい開いた状態から、はらはらと散っていく。

実に潔い姿だ。桜を楽しむ我々に、枯れ果て腐り落ちる姿を見せることもなく、一番愛されるときに、まだ咲いていてほしいと惜しまれるうちに、見事に散っていく。

人間も「引き際が肝心」ではないけれど、桜の姿を見習いたいものだなと思う。惜しまれながら身を引くのが一番幸せな終わり方ではないか。

 

また、桜が散る様子は、「花吹雪」「桜吹雪」と雪のように喩えられる。

 

またや見ん 交野のみ野の 桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの 

新古今和歌集』巻二・春歌下・一一四 藤原俊成

「また見ることができるであろうか。交野(かたの)の御料地で桜狩りをしたときに見た、桜の花が雪のように散る、春の明け方のこの美しい景色を」

 

明け方に散る桜を見たことがあるだろうか。

京都に住んでいた頃、朝まだきの時間に、鴨川に散る桜を見に行ったことがある。春の京都はどこも地獄かと思う程に人がいるのに、朝も早かったためほとんど人がおらず、景色を一人占めできて非常に得した気分になった。

風もないのに、花びらが静かに降りしきるあの光景は、雪と見まがうほどで、本当に綺麗だった。俊成が見た光景とは場所も時代も違うけれど、この感嘆は同じだろうなと思った。

 

 散りそむる 花の初雪 ふりぬれば ふみわけまうき 志賀の山越え

 『山家集』一一三 西行

「桜の花の雪が降りしきって道を染めているので、踏みしめて進んでいくことがつらいよ、志賀の山越えの道を」

 

散る様も美しいが散った後の花弁も綺麗だ。花見をしているときにコップに花びらが落ち、風流だと思ったことがある人もいると思う。(紙兎ロペでも紙コップに花びらが落ちるのを「一風流」として競っていた話があった)

散った花弁は地面に絨毯を作る。桜色の絨毯だ。それを踏み荒らして歩くのは惜しい気持ちもする。冬場、雪が積もって真っ白になった地面を歩くのがなんだか勿体ないのと同じように。

 

散る桜とそれに関する和歌をいくつか取り上げたけれど、散り始めはこれからという所も、まだ満開になっていない所もあるみたいで羨ましいなという気持ちもする。

わたしはまた来年を楽しみにしたい。それまでに定職にも就いていたい。

 

あと、桜が嫌いだという人もいると思うけれど、そんな人には坂口安吾桜の森の満開の下』や梶井基次郎の『桜の樹の下には』がお勧めです。どちらも「青空文庫 Aozora Bunko」で無料で読めるので、読んでみてください。