今日も旅ゆく

いったりきたりの旅の記録

富士山の夢と宝くじ

働きたくない。自分でも驚くくらい働きたくない。みんなが感じてる「働きたくない」という気持ちの1万倍は働きたくないです。

仕事の内容は前の職場に比べたら死ぬほど嫌というものでもないし、破滅的なパワハラ人間が職場にいるわけでもないんだけど、マ〜〜ジで行きたくないんですよね仕事。宝くじを当ててサクッと労働という行為を辞めたい。誰にも負けない強い気持ちです。なんだかんだいって、社会生活に向いてないんだと思う。

 

先日富士山の夢を見ました。雲がかかっていない立派な富士山の夢、初夢ではないものの、夢占いでは大吉夢。起きた瞬間「これは宝くじが当たる夢だな」と確信し、休みになった途端宝くじを買いに行きましたよ。いい夢の話は人にしてしまうと効果がなくなるらしいので、一人でこっそり。しかもよく当たるという宝くじ売り場に並んで。

我が家には亡き祖父の遺影を飾っている神棚っぽいスペースがあるんですが、買ってきた宝くじは当選番号が発表になるまでそこに飾っておくという習慣があります。わたしもそこに宝くじを飾り「どうか…!」とお願いをしました。亡き祖父は「じいちゃんお願い宝くじを…!」と拝まれ情けないと思っているだろうな。でも祖父自身も生前は年末ジャンボ等を買っては、帰省した孫(私と弟)と当たった当たってないとキャッキャしながら新聞を確認していたので「めっちゃ宝くじ好きじゃん」なんて思っていたけど、あっこれ宝くじの当落より私たちと宝くじを確認するという行為そのものが好きだったのではと書いてる時に気付いたので泣いてます。

そんな祖父の話はぼちぼちするとして、富士山の夢を受けて買った宝くじの当落です。

 

もうそろそろ当選番号が出たかな、一人で確認するぞ、3億当たったら年度末まで働いて仕事を辞めよう、なんてほくそ笑みながら帰ったある日、帰宅してご飯を食べているとオカンに「あっ、今日宝くじ持っていったよ」と言われました。

もちろんその宝くじの中には富士山の夢を背負ったわたしが購入した分も入っています。自分がチェックする気だったから思わぬ伏兵。銀魂オタクもドン引きの「オイイイイイ!」が出そうになりましたが「結果は?」と冷静を装いつつ話を聞きました。

 

「……300円やった」

 

当たってないんか〜〜い!富士山の夢は一体なんやったんや……

 

オカンは私が富士山の夢を見たことを知らないので「だよね〜残念!」みたいな返答をしました。夢占いに左右されるアラサーもどうなのって感じだけど滅茶苦茶落ち込みました。落胆ってこのことを言うんだね。学びました。そして夢は深層心理が見せるものだということも。そういえば夢を見る前日Wikipediaで富士山噴火について調べて寝たからたぶんそれだわ。

 

あ〜〜3億円誰かくれないかな〜〜!

それか週休3日制の早期導入を頼む〜〜!!!

そんなこと言いつつ明日からまた仕事です。おやすみなさい。

参拝に行った話/猿田彦神社と庚申信仰①

福岡の人に限られるかもしれないが、こんなお面を街のあちこちで見かけたことがないだろうか。

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我が家も表札の横に飾っているこのお面。災難を避け幸福をもたらしてくれるらしい。庚申祭の行われている日に、福岡市早良区藤崎にある猿田彦神社でいただくことができる。

今日はその2018年最初の庚申祭。今年のお面をいただきに、朝4時半に起きて、猿田彦神社へ向かった。

 

今年初めの庚申祭で「初庚申」。初庚申は5:30〜19:00で行われる。

すごい人混みになると聞いていた。毎年並んでいる母も「半端ない。とんでもない」と脅しをかけてくる。しかし、早朝も早朝なので「まあそんなに待たないでしょ」とナメた感じで藤崎へと向かった。5:15着。すでにこの有様だった。1時間半超の待ちは確実そうだ。

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真っ暗の、まだ目覚めていない街に突如として現れる長蛇の列。コミケもかくや。

通りを1つ進んだところで警備員の方が「あと5本行った先が最後尾です」と案内していたので、私たちが待っている間も続々と人が増えている様子だった。

途中で雨が降りはじめる。後ろの人との身長差が絶妙で、傘が延々と後頭部に当たり続けるという悲劇に見舞われるなどした。

 

そんなこんなでひたすら待つこと2時間強。夜が明けてすっかり明るい。

やっとこさ神社の入り口へ到着。祭感がある。

日頃はこぢんまりとした神社なので落差がすごい。

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御手水で手を清める際、マスクの上から口をゆすごうとしてしまいどうしようもなくなるというアクシデントがありつつも、無事に参拝。

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念願のお面と福笹をいただく。

お面のご利益は上記のとおり、福笹の赤い丸いものは「布猿」というらしく、おそらく「くくり猿」かなあ。

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とにかく寒かった。帰宅して飲んだコーンスープの美味しさといったら。

先頭の人は2時半から並んでいたと知りひっくり返る。

 

次の庚申祭は3月29日(木)7:00〜18:00。

お面も福笹もいただけるとのことなので、興味のある人はぜひ。

初庚申ほどは並ばなくて済むそう。

 

飛んでいった酉年を振り返る

結局1年更新できずに終わりました。家と職場の往復の記憶ばかりの2017年ですが、昨年同様自分のためだけに1年を振り返ります。

 

【1月】

・「よく働く無能」を絵に描いたようなゴミ先輩に絡まれながら仕事

 

【2月】

・「よく働く無能」を絵に描いたようなゴミ先輩に絡まれながら仕事

 

【3月】

・「よく働く無能」を絵に描いたようなゴミ先輩に絡まれながら仕事

・大学の友達と京町家に泊まる。めちゃくちゃ楽しかった。無限にゴミ先輩の悪口を言う。夜中の2時くらいまで喋り続けるもみんな優しいから笑って話聞いてくれる。その時の写真をまだ現像できていない。

・激務部署に異動が決まる。

 

【4月】

・異動初日から地獄。右も左もわからないのに仕事だけ積まれていく。

・休日出勤が常態化。

・香ばしい同期に囲まれ心がヒリつく。

・野球現地観戦1回目。

Kindle購入。電子書籍めっちゃ便利。場所とらない。

 

【5月】

・GWも休日出勤。

・家と職場の往復。

・タカガールズデーで無念のボロ負け。びっくりするくらい負けた。

 

【6月】

・家と職場の往復。

・隙を見て野球に行く。

・休日出勤の常態化。

 

【7月】

・九州北部豪雨。

・休日出勤の常態化。

・山笠を初めて見る。オイサ!

・深夜に帰る日が増える。

 

【8月】

・上旬が地獄。深夜に帰る日々が続いた。

・中旬以降は定時で帰る日が増える。野球に行く。

・最高の夏を求めて関門海峡や平尾台に行く。

・ジムに入会。

 

【9月】

・再び家と職場の往復。残業時間が元に戻る。

・ホークスリーグ優勝!

 

【10月】

・三連休で静岡と名古屋へ。

・静岡では限界旅館に友達4人で泊まる。まず部屋の鍵がよくわからない仕組みで開かなかった。入れたと思ったら入り口の電気がつかない。障子がはがれ壁に謎の穴があいていた。シャワーのお湯をひねったら80℃くらいの熱湯で殺しにくる。備え付けドライヤーがそよ風。4人に対し使えるコンセントが2つ等…それでも最高に楽しかった。

・名古屋でオフ会。

・名古屋のホテルはトイレのフタが壊れていた。

・小中のときに暮らした街をうろうろする。

・ホークスCS優勝!

・遅れてもらった夏休みで日帰り広島へ。中学のときに暮らした街を母とうろうろする。

 

【11月】

・ホークス日本一!

・出張で東京へ。生まれて初めて一人で飛行機に乗った!もうどこにでも行ける。

・東京で念願叶ってクレヨンしんちゃんのショップに行く。よくわからないまま8000円分グッズを買う。

秋葉原で同人誌を買う。

 

【12月】

・家と職場の往復。

iPad Proを購入するも全く触ってない。

どうぶつの森ポケットキャンプも全然やってない。

・休日出勤のとき全てが嫌になりそのままガルパン最終章を観に行く。

・それから隙を見てはガルパンを再視聴するように。

・年賀状用の切り絵が間に合わなかった(完)

 

「半年働いて大体掴んできたし毎日定時の1年にするぞ〜!」とナメたことを思っていたら予期せぬ異動で、特に前半が地獄のような日々でした。とはいってもちょくちょく野球に行き、後半は遠出もしていたので去年より充実していたのかもしれない。

しかしブログは更新できず、切り絵にも水彩画にも全く触れなかったので来年こそは趣味にちゃんと時間割きたい。そして遠出を増やしたいな〜。あと痩せる。車を運転できるようになる。

 

2017年も大変お世話になりました。2018年もよろしくお願いします。

 

去る年を振り返る

申年が去ります。

100万人くらいに使い古されたネタだとは承知しつつもこの言葉をとにかく口にしたかった。申年が去るのです。

無職で迎え、仕事に追われて終わろうとしている2016年を簡単に振り返ります。

 

【1月】

・無職で年明け。社会人になって途絶えていたお年玉が、無職だからという理由で復活。おばあちゃんから新札のお年玉をいただく。

・公務員試験受験を決意。(結局ほぼゴミと化す)通信教育を申し込む。

・福岡で記録的な大雪。道路も凍結する中、佐川急便のおじちゃんがボロボロになりながら通信教育のテキスト(40冊近く)を配達してくれる。

 

【2月】

・城島の酒蔵開きイベントへ。しこたま酒を飲む。会場を出た直後にガスボンベ爆発事故。

・酒蔵開きイベント後、母がインフルにかかる。自分もなんだかやる気をなくし無勉が続く。

・転職イベントで元銀行員に対する悪口を聞く。

・ハロワの職員と少し揉める。

・親戚の子供に「無職って何?」と聞かれる。

 

【3月】

・先輩のところへ職場訪問のために上京。フォロワーにも会い楽しく過ごすも東京のデカさに驚き自分が田舎者だということを痛感。意識高い人の話を聞いた後、飯田橋駅で鼻血を出す。高いビルに恐れおののく。新宿駅で迷子になる。

・勉強はほとんどせず。ツイッターに""真剣""

・ハロワに行く。

・公務員の説明会で""ヤバい""奴らを目の当たりにする。

 

【4月】

・野球に行く。

・ハロワに行く。

熊本地震。人生で一番揺れる。緊急地震速報の恐怖で寝られず。

・20日頃からいよいよヤバいのでは?と思い勉強を本格化する。まだ主要科目が全然終わってない。

 

【5月】

・野球に行く。

・ハロワに行く。ハロワの職員と少し揉める。

・勉強する。家では勉強できないので毎日図書館へ。

・月末に初の公務員試験。数的が鬼難しくて試験中に完全に無になる。

 

【6月】

・野球に行く。

・ハロワに行く。ハロワ卒業。

・公務員試験本格化。

・帰ってきたヒトラーを観に行くも横にクッチャラーが座り無になる。

 

【7月】

・野球に行く。

・面接シーズン。

・特に面白いことはなかった。

 

【8月】

シン・ゴジラにハマる。

君の名は。にメンタルをやられる。

・10月からの採用が決まる。

 

【9月】

・毎日シン・ゴジラのことを思う。

・朝ドラ「とと姉ちゃん」に対する怒りのツイートを連発。

ソフトバンクが無様な姿に。

・メンヘラと長崎旅行へ。死ぬほど振り回されて二度とこいつと旅行に行くものかと思う。

・無職最終週に写真整理。自分の昔の写真を発掘するもほぼ全てが「自意識過剰なブス」の写真でブルーな気持ちが加速する。

 

【10月】

・再就職。初日からガッツリ残業。月末には休日出勤。半年は定時だろうという甘い考えが初日で打ち砕かれる。

・指導担当が神も驚くレベルの上から目線野郎だった。毎日イライラをためこむ。

・あのゲーム差でソフトバンク敗退。Vやねんソフトバンク

・フォロワーが激減。今も続く。

 

【11月】

・仕事

ポケモンを思うように進められない

・指導担当がゴミ

 

【12月】

・仕事

・切り絵を再開。

・指導担当がゴミ

・紅白のシンゴジラのノリに涙を流す。

 

環境が変わり「変化」の一年でした。精神的にボロボロになって銀行を退職した昨年に比べたらとても良い年だったと思います。仕事に慣れるのに必死で、キツイ時もあったものの、逆流性食道炎が完全になくなり健康になりました。ストレスの質が違うのだなと感じています。合わせて金融業は本当に向いてなかったんだなと痛感する。

公務員試験についてはまた別にまとめます。

 

来年はもっと勉強して指導担当の手を借りずスムーズに仕事が進められるようにしたい。

趣味に時間を費やす余力もなかったので、あちこち足を運んでカメラを活用したいし切り絵もしたい。あとちゃんとブログを更新します。

 

2016年は温かい言葉をかけていただくことも多く、みなさまには大変お世話になりました。

来年もまた、よろしくお願いします。

散る桜の話

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桜も盛りを過ぎ、散り始めている。

今年はお花見らしいお花見もできなかった。お花見は好きなので悔しい。

お酒を飲んで桜の下でゆっくりと時間を過ごす、そんな贅沢をしたかったが、この楽しみは来年まで持ち越すこととなった。

 

花見に関して、西行がこんな和歌を詠んでいる。

 

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の 咎にはありける

『山家集』八七 西行

「花見に人が大挙してやってくることだけが、あえていえば桜の唯一の罪であり、残念に思うべきことである」

 

うちの周辺は閑静な住宅街なのだが、近くに桜が綺麗な広場がある。つい先日、21時近くになっても花見で大騒ぎする軍団がいた。早寝する人は寝始める時間帯だろうに、飲めや歌えやの祭状態で、結局通報されたのだろう、警察にしっかり叱られていたようだった。お花見が楽しい気持ちはわからんでもないけれど、周りに迷惑をかけてはいけない。いい大人は特に。

花見を理由に人が集まって、ご飯を食べたりお酒を飲んだり、やがてはガヤガヤ騒ぎ出す……その光景を見て、なんだか西行の言っていることがわかるな、と思った。

桜はできれば一人で静かに楽しみたい。大勢でワイワイ飲むのも好きなのだが。根が暗い人間なので。

 

わたしは、桜が散る様が一番好きだ。

 

桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ

万葉集』 巻十・一八五五 詠み人知らず

「桜の花は、まだ盛りの時は過ぎていないのに、恋しいと思ってくれる人がいるうちに、今がその時だと思って、散っていくのだろう」

 

桜は枯れない。めいっぱい開いた状態から、はらはらと散っていく。

実に潔い姿だ。桜を楽しむ我々に、枯れ果て腐り落ちる姿を見せることもなく、一番愛されるときに、まだ咲いていてほしいと惜しまれるうちに、見事に散っていく。

人間も「引き際が肝心」ではないけれど、桜の姿を見習いたいものだなと思う。惜しまれながら身を引くのが一番幸せな終わり方ではないか。

 

また、桜が散る様子は、「花吹雪」「桜吹雪」と雪のように喩えられる。

 

またや見ん 交野のみ野の 桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの 

新古今和歌集』巻二・春歌下・一一四 藤原俊成

「また見ることができるであろうか。交野(かたの)の御料地で桜狩りをしたときに見た、桜の花が雪のように散る、春の明け方のこの美しい景色を」

 

明け方に散る桜を見たことがあるだろうか。

京都に住んでいた頃、朝まだきの時間に、鴨川に散る桜を見に行ったことがある。春の京都はどこも地獄かと思う程に人がいるのに、朝も早かったためほとんど人がおらず、景色を一人占めできて非常に得した気分になった。

風もないのに、花びらが静かに降りしきるあの光景は、雪と見まがうほどで、本当に綺麗だった。俊成が見た光景とは場所も時代も違うけれど、この感嘆は同じだろうなと思った。

 

 散りそむる 花の初雪 ふりぬれば ふみわけまうき 志賀の山越え

 『山家集』一一三 西行

「桜の花の雪が降りしきって道を染めているので、踏みしめて進んでいくことがつらいよ、志賀の山越えの道を」

 

散る様も美しいが散った後の花弁も綺麗だ。花見をしているときにコップに花びらが落ち、風流だと思ったことがある人もいると思う。(紙兎ロペでも紙コップに花びらが落ちるのを「一風流」として競っていた話があった)

散った花弁は地面に絨毯を作る。桜色の絨毯だ。それを踏み荒らして歩くのは惜しい気持ちもする。冬場、雪が積もって真っ白になった地面を歩くのがなんだか勿体ないのと同じように。

 

散る桜とそれに関する和歌をいくつか取り上げたけれど、散り始めはこれからという所も、まだ満開になっていない所もあるみたいで羨ましいなという気持ちもする。

わたしはまた来年を楽しみにしたい。それまでに定職にも就いていたい。

 

あと、桜が嫌いだという人もいると思うけれど、そんな人には坂口安吾桜の森の満開の下』や梶井基次郎の『桜の樹の下には』がお勧めです。どちらも「青空文庫 Aozora Bunko」で無料で読めるので、読んでみてください。

古典文学に見える地名~京都深草の地から

大学入学を機に、福岡から京都へと引っ越した。

 

引っ越してきた当初はまず、京都市内に存在する神社仏閣の数に驚嘆し、寺町・新京極といった繁華街の中に錦天満宮蛸薬師堂、誠心院が当然のように紛れていることに新鮮さを感じた。

「歴史都市」京都を堪能しようと、清水寺鹿苑寺金閣慈照寺銀閣京都御苑・二条城・嵐山…等といった有名スポットをあちこち巡った。

 

一通り有名な史跡を回り、京都での生活にも慣れてきた頃のことだ。丹波橋駅から、京阪電鉄の列車に乗る機会があった。出町柳行きの各駅停車である。

京阪電鉄を利用する際にはいつも特急を利用していたため、丹波橋の次に停車する七条までの間の駅については気にも留めたことがなかったのだが、普通列車は嫌でも停車する。丹波橋から数駅のところで、ここはどのあたりだろうと、ふと駅名標を見てみるとそこには「深草」とあった。

 

「深草」は非常に聞き覚えのある名前だった。大学で専攻している平安期の文学作品の中で幾度か目にしたことのある地名だったからである。

  

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

 上野岑雄/『古今集』巻一六・哀傷・八三二

 

むかし、おとこありけり。深草に住みける女を、やう〱あきがたにや思ひけん、かゝる歌をよみけり。

年をへて住みこし里を出でていなばいとゞ深草野とやなりなん

女、返し、

野とならば鶉となりて鳴きをらんかりにだにやは君は来ざらむ

とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。

 『伊勢物語』一二三段

 

夕されば野辺の秋風身に染しみて鶉鳴くなり深草の里

 藤原俊成千載集』巻四・秋上・二五九

 

 具体的な本文は割愛するが『源氏物語』「藤裏葉」で出てくる極楽寺や、能「通小町」の登場人物深草少将の伝説もこの地に残る。

深草には、桓武天皇仁明天皇をはじめとして皇族の墓が多く、平安時代は貴族の別荘地であったらしい。そして和歌には「鶉」が一緒に詠みこまれた。深草は平安文学に愛された土地であった。

平安文学に見受けられる地名が、こうして現代に残っているということに、その時の私は深い感動を覚えた。

 

現在深草は開発が進み、京都教育大学や龍谷大学などの学校用地や住宅地となっているが、山野に目を向ければ、まだ美しい竹林や自然の風景も残っている。

実際に深草の地へ足を運んだこともある。新しく整備された大岩山の展望台から伏見区側を望めば、藤原俊成が和歌に詠み、平安時代の人々が同じように想像したであろう、寂しい深草の里の光景が自然と思い起こされた。

具体的な形のない地名ひとつをとっても、そこに平安時代の人々の心性・感性が根付いている。そして、地名を残しているということは、現代と平安時代は確かに繋がって存在している証拠になる。

 

今回は深草に重きを置いて話を進めたが、このような土地は勿論深草だけではない。

日本には古くから存在する地名が多く、通りの名前一つをとっても歴史を感じるものばかりだ。それらの地名は物語に織り込まれ、和歌に詠みこまれる。

その土地を舞台とした文学を紐解いていけば、そこに連綿と続く歴史・人々の生活を感じ取ることができるのは先に述べたとおりだ。そして、実際にその舞台を歩いていけば、新しい名所旧跡を発見することもできるかもしれない。

 

神社仏閣のように、形のあるものだけでなく、日常の中で何気なく目にしている地名・土地の中にも平安時代は確かに存在する。そこが、歴史的にはあまり重要ではない場所であったとしても、その地に纏わる物語や和歌、そこから見える人々の思いにまで意識を向けることで、歴史を読み解く一つの手掛かりを得ることも可能だろう。また、我々は手掛かりを得ると同時に、今までその地に続いた歴史を強く感じざるをえなくなる。

 

新宿駅の話

 

東京に行くのは約7年ぶりだった。

7年前は新宿駅を母と二人で彷徨い、西口では目が死んでいるサラリーマンの波に飲まれた覚えがある。

新宿駅がいかに複雑かということを、当時は全く理解しないまま丸腰で挑んだため完膚無きまでに敗れた。駅員さんに3回道を尋ねたのに目的地に辿りつけず、結局飛び跳ねてティッシュ配りをするヤバそうなお兄ちゃん(伝われ)に助けてもらった。

 

しかし今回は違う。今回こそはスマートに新宿駅を攻略するぞと「迷うだろうから新宿で待ち合わせはやめようや」という友達に、雪辱を晴らしたいから協力してくれ今回は大丈夫だからとお願いして、新宿駅南口で待ち合わせすることにした。

 

地下鉄丸ノ内線の改札を出て、出口に向かうといつのまにか東口の方に出ていた。

7年前の記憶がありありと甦る。確かここから母との長い彷徨が始まったのだ。キャリーケースを引っ張り歩きまわった果てに、人生がどうでもよくなってなぜか途中で別に買う必要もない下着を買ったことも思い出された。

 

とりあえず地下に潜ればどうにかなるやろと、地下に潜る。突き進むと改札にぶつかった。これ以上は先に進めない。横に抜ける道もなさそうだ。地上に戻ればなぜかさっきと違うところに出る。南口に行くには地上で余裕と言っていた奴は誰だ。ここがその地上なのかもわからない。頭を抱えた。

東口、中央東口、東口広場階段、JR西口、京王西口、中央西口、東南口、新南口、サザンテラス口…そのほかにもまだまだ出口がある。日本中の出口でも集めているのか。もう自分の理解能力を超えていた。

 

友達との待ち合わせ時刻が迫る中、就活時、梅田で散々迷ったことを思い出す。

就活生だったとき、大阪梅田駅でも地下を彷徨い、面接に遅刻しかけたことが何回もあった。阪神百貨店の前を全力疾走したこともある。何度も人生を棒に振りかけた。(必死に走って間に合った面接で入社が決まり、そのあとメンタルをボコボコにやられて人生を棒に振っている気がしないでもない)

 

結局のところ、傲慢なのだ。何度痛い目を見ても、私は都会をなめたままだった。

自分の乏しい経験だけで「ま~どうにかいけるやろ!」と思っていた自分がいかに傲慢だったことを再度思い知らされた。博多駅も京都駅も優しく、それに甘えていただけだったのだ。

 

先に着いたらしい友達から電話が入り「迷ってるならとりあえずもう動かないで」と言われる。今いる場所を尋ねられてもおおよそのことしかわからない。何か目印になるものはないかと話しながら歩いていると見覚えのある場所に出てきた。南口だった。

「南口に着いた…!」

私にとっては感動的な出来事だったのだが、当然友達はあきれ顔だった。どれくらい迷ったかの話をすると「だから言ったのに」と言われる。ぐうの音もでない。

 

友達に連れられ道路の方へ出る。なんと道路を挟んで目の前に新宿駅がもうひとつあった。驚きのあまりひっくり返ってしまった。

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なんてことだ。魔窟がまた広がるのか。

新宿駅は無限に拡大され続け、出口も際限なく増殖して、今以上に慣れない地方出身者を路頭に迷わせるのだ。私のような思いあがりの田舎者を地下に飲み込んでしまうかもしれない。そしてそれを養分にまた新宿駅は大きくなる。永遠にだ。利便性は追求され続け、発展は止まないのだろう。人も集まり続ける。

その繰り返しの果てに人の全てを見た新宿駅は意思を持つようになり、やがて人をみんな飲み込んでしまうのではないか。

 

雑踏の中でそんな馬鹿げたことを思った。

飲み込まれたら私は一番最初に消化されるなと神妙な顔をしていたら、友達に「あの女の子あんたと同じリュック背負ってるよ」と言われ、空想は終わり、新宿駅は利用者を吸い込み吐き出しながら、変わらずそこにあった。