今日も旅ゆく

いったりきたりの旅の記録

感傷の鴨川/京都紀行1(令和5年7月/京都府京都市)

 人生がままならないので、京都に行くことにした。

 7月の3連休前日の金曜日。代休を午後にねじ込み、無理矢理に仕事を終えたその足で、博多駅から新幹線に乗った。京都に行くのは2月以来、5ヶ月ぶりだ。

 大学時代の4年間(2年間は市外だったが)を京都で過ごしているのもあって、旅行に行くというよりは、京都は「ちょっと遊びに行く」ような感覚である。

 博多から3時間弱、18時前に京都駅に着く。京都駅は相変わらず人でごった返していた。私が学生だった頃より人が増えているのではないかと思う。そのまま地下鉄に乗り換えて、四条駅に降りる。

 今回の行程を考えたときは「そういえば祇園祭か」というくらいの感覚だったが、到着した日はちょうど宵々々山で、ホテルの前には鉾が立っていた。街の中心部のホテルを取ったとはいえ、まさか目の前とは。明日は朝からあちこち行く予定を立てているので、元気があれば宵々山を楽しもうかな、などと呑気に考えていたが、やはり実物を前にすると、明日は絶対に無理をしてでも楽しもうなとなってしまう。

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 雰囲気が良い。良すぎる。

 ただ、今日は鴨川に行くことを目的としているので、鉾の見物はそこそこに、再び地下鉄に乗って、今度は今出川駅で降りた。

 今出川駅から、出町柳方面へ歩く。

 バイト先が神宮丸太町、家が堀川今出川だったこともあって、よく使っていた道だった。学生時代にもあったお店、変わってしまったお店、何もかもが懐かしく、情緒が既に取り返しのつかないことになってきていた。そのままの勢いでファミマでビールとサラミを買う。

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 賀茂大橋から北側を臨む。鴨川デルタでは青春が煌めいているのが見えた。デルタのどこかに腰掛けてビールを飲もうと思っていたが、大量の青春に中ると立ち直れなくなりそうだったので、結局出町橋を少し越えたところで場所を見つけた。

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 夜が降りても、夏の暑さだった。ビールがしみる。せせらぎと言うには少し大きい川の流れに耳を傾けながら、夜風に当たる。

 すぐに一缶を飲み干してしまい、川沿いを三条付近まで下ることにした。

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 京都という街は恐ろしい。学生時代の記憶がそこかしこに、それとなく紐付いていて、ふとした瞬間に私を刺す。

 ここを離れて10年近くが経つ。何も変わっていないつもりでも、20代前半の驕り、何も知らなかったあの頃から、だいぶ隔たってしまった。感傷を抱えて歩くには出町柳から丸太町は遠すぎる。

 何も考えずに将来の選択をして、結局最初に務めた会社は逃げるように辞め、無職というモラトリアム(再)を過ごして、今度は再就職した先で、想像していた以上に働いている。

 10年前の私から見れば、こんなはずではなかったと思うのではないだろうか。少なくともこの年で結婚していないとは思っていなかったし、こんなに働いているとも思っていなかった。

 ただ、「こんなはずじゃなかった」が必ずしも後悔とは限らないことを、最近学んだ。全てがベストではなかったかもしれないけれど、選んできた道があって、そこを通らなければ会えなかった人がいる。見ることもなかった風景がある。

    丸太町まで到着した。バイト先を確認したら、まだ健在で少し泣きそうになった。

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 ビールを買い足して、またしばし川辺に腰掛ける。

 人生はきっと折り合いの連続なんだろうと思う。現在に地続きで過去と未来があって、選択と折り合いを繰り返して、生きていくことになるんだろう。10年後も似たようなことをしているのか、また違う人生を歩んでいるのか、まだ想像がつかない。きっとキャリアと結婚についてはこれからしばらく悩むんだろう……が、自分の人生に責任は持てるようにしたいなとは思った。

 三条付近まで下りると、突然人が増えてきた。等間隔カップルを久しぶりに見る。学生の頃「ここは昔処刑場だったのに」とわざわざ嫌なことを言っていたことを思い出す。

 人が増えてきて嫌な気持ちになってきたところで、スマホが鳴る。確認したら職場からのLINEだった。たいした内容でもなく、今じゃなくて良いのにという気持ちだ。

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 感傷もかき消えたので、宿に戻ることにした。三条京阪駅から地下鉄に乗り、烏丸御池駅で降りる。ホテル前の山鉾の提灯が美しかった。

    明日の朝は志津屋のイートインでカルネを食べようかなと思い、ホテルへ帰着。1日目を終えた。

世界の果てを探して(令和5年10月/福岡県福岡市西区能古島)

 人生がままならないので、世界の果てを探してうろうろしている。

 朝晩が涼しくなってきて、やっと出かけられるようになってきた10月1日。能古島に渡るため、16時過ぎに姪浜船場にやってきた。 

 姪浜船場は、どこか哀愁漂う場所だ。ここからは、「能古島」と「小呂島」へ向かう船が出ている。小さい売店もあり、生ビールも売っている。いつか飲みたいと思いながら、船酔いが心配で、結局一度も飲んだことはない。

 この時間に島に渡る人は少ないのか、人はまばらで、待合所は静かだった。

 これから向かう福岡市西区能古島は、博多湾に浮かぶ人口約600人強の島で、古く『万葉集』にも詠われたこともある。姪浜船場から約10分、片道230円。福岡市民の身近な行楽地でもある。

 16時10分「レインボーのこ」が能古島からやってきた。のこのしまアイランドパーク等で休日を楽しんだらしい家族連れやカップルをたくさん降ろし、16時15分姪浜発。

 対岸に福岡タワーやPayPayドームを見ながら、船は能古島へと進む。

 気温的にはようやく朝晩に秋が顔を覗かせるようになったところだというのに、日没はどんどん早まって、冬の気配すら感じるくらいだ。既に秋分の日を越えているので、「秋の夜長」なんだと頭では理解しつつも、日が短くなると行程にも制約が出てくるため、夏さえ早く終わってくれたらもっと色々出かけられて良かったのにと思うが、地球の公転速度は変わらない。変わるのは気候だけで、人類の業を思った。

 

 16時25分、能古島着。今回は「コンクリート桟橋跡」を目指して歩く。

 出発前「コンクリート桟橋跡」へのルートを検索したら、下記の候補が出てきた。嘘をつくなと思った。絶対に途中から道がないルートだ。

 Googleマップは偉大ではある(いつもお世話になっている)ものの、前に由布院に行ったとき、明らかに人の家の土地を歩くルートを案内され、途方に暮れたことがあった(その後、リカバリーする道を見つけたが、蜘蛛の巣だらけで地獄だった)。

 航空写真を見ると、足下は悪そうだが、浜に沿って歩けば目的地まで行けそうだ。クチコミにも「海岸線をひたすら歩いてください」とあったので、そのとおりにする。歩けなさそうであれば、途中で引き返せばいい。

 「蒙古塚」を過ぎても、途中までは綺麗な舗装路が続いていた。舗装路の果てにはバリケードのようなものはあるが、立ち入り禁止とは書かれておらず、問題なく先に進めそうだった。続く浜が礫浜で、足下が悪そうな点を除けば。

 礫を踏み、足を捻り、途中よろめきながらも、黙々と進む。波の音は心地よく、景色もいいが、転ばないように歩かねばという緊張感と、岬が続くので、目的地が見えず、少し不安になってくる。

 また、湿っている礫を見て、今は干潮であるから歩けているだけで、潮が満ちれば、戻れなくなるのではという考えも過り「干潮 ピーク 能古島」で検索をする羽目になった。

 これだけ未整備なのに、途中、コンクリートのブロック塀なども転がっており、人がいた気配も感じられ「人類が滅亡した後の世界の雰囲気」がそこかしこにあった。

 岬を2つ程越えると、ようやく目的地が見えてきた。

 突如現れる、朽ちた人工物。

 コンクリート桟橋跡。採石場の遺構で、戦前から戦中にかけ、能古島で採取した石を積み出すために利用されていたらしい。

 沈んでいく夕陽と、風と波に晒され、朽ちていく橋の対比が、美しかった。

 世界の果ての一つだと思った。

 

 近くの石に腰掛け、ぼーっと橋と海を見る。

 人生がままならない。でも、ままならないなりに、ままならない人生をこれからもずっと続けなくてはならない。

 希死念慮はない。身近な人には幸せでいてほしいし、自分も普通に生きていたい。ただ、一方で、漠然と終末を期待している。

 そんな気持ちと折り合いをつけるために、私はこうやって、世界の果てのような場所を探して身を置くのだろうと思った。

 一時間弱滞在し、日も暮れかかってきたので、暗くなる前に渡船場へ戻る。

 

 18時30分、能古島発。日はすっかり落ちて、夜が降りた福岡市内が見えた。日頃生活している場所だが、ここにはたくさんの人が生きているのだということを、光を見て改めて思う。

 18時40分、姪浜着。そのまま西鉄バスに乗り、帰路につく。

 流れていく対向車のヘッドライトを見ながら、明日は早朝から遠方への出張が入っていることを思い出す。帰ったら、お風呂につかって、ビールを飲んで、ネイルを塗り直さなければ。世界の果てから現実に戻され、今回の彷徨は終わった。

三島・沼津紀行

 人生がままならないので、なんだかでっかい山と海が見たいなと思い、どうせ行くなら行ってみたい場所があるところへと、当日の0時を過ぎたところで静岡の沼津に行くことを決めた。沼津には、このブログのタイトルの由来となっている「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」という短歌を詠んだ若山牧水の記念館がある。行程を調べてみたら、以前から興味のあった三島にも行けそうな雰囲気だったので、三島にも行くことにした。

 

 11月20日8時30分、東京駅。

 コロナの感染者が落ち着きつつあるからか、朝から東京駅には信じられないくらいの人がいた。勤労感謝の日が火曜日ということで、月曜日に有給を使って、4連休を錬成して旅行に行く人も多そうだ。ネットで予約したチケットの発券にも一苦労だ。みんなパネルの操作に手間取っており、連休を感じる。

 特急踊り子は9時ちょうど発である。どうしてもコーヒーを持ち込みたかった。余裕を持って駅に着いたはずなのに、売っている場所が見つからない。博多駅は構内にファミマがあるのに、そういや東京駅構内にコンビニがないなとうろうろする。別にオシャレなコーヒーじゃなくていいのにとベソをかきつつ、パン屋の傍らでコーヒーが売られているのを見つけた。しかし長蛇の列で、並ぶとギリギリになりそうだったが、どうしてもコーヒーを飲みたいので待つことにした。そういう時に限って、前の客がアイスレモネードだチャイだと時間がかかるものを頼む。発車まであと5分弱というところで、ようやく買えた。零さずに注意を払いながら、少し早足で踊り子に乗り込む。間に合った。

 

 9時00分、東京駅発。

 絶対に買うぞと意気込んで買ったコーヒーが、すっぱかった。酸味の強いコーヒーは苦手なのでめちゃくちゃへこむ。しかもラージサイズを購入してしまった。冷めるとますます飲みたくなくなるので、電車が南へ向かう中、黙々とコーヒーを飲んだ。

 踊り子は横浜を過ぎる。これまで電車で南下したのは横浜までだったので、ここからは全く知らない街だ。車窓から見える洗濯物を見ながら、見知らぬ人、そして永遠に私の人生と交わることのない人たちの生活を思う。こういうときにはくるりの曲を聴くに限る。しかし磔のように不思議な干し方をする人もいるんだなあ。

 流れていく駅名を見ながら、ここが大船!などと思っていると、富士山が見え始めた。嬉しい。今日は最終目的地の沼津・千本浜で富士山を見たいと思っていたところだ。このまま雲がかからないといいけれど、と思っているところで、トンネルの数が増えていき、10時38分、三島駅着。

 

 まずは三嶋大社に向かう。

 三嶋大社は、伊豆国一の宮で、源頼朝が源氏再興を願った神社としても有名な神社である。頼朝の描かれた絵馬もあるとのこと。

 境内は七五三の家族連れでいっぱいだった。千歳飴をもう食べさせてくれと親に訴える子、鎧のようなかっこいい格好をしている子、着物が嫌だと不機嫌な子など、たくさんいて微笑ましい気持ちになる。私も着物の帯が苦しくて苦しくて、しんどかったことを思い出した。そのときはちょうどおかっぱ頭で、えらく渋い顔をした座敷わらしのような姿を写した写真が実家に残っている。

 参拝を済ませ、源兵衛川のせせらぎ散歩へ。

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 「本当にこの道は通って大丈夫なのか?」という懸念を抱きつつ、写真のような散歩道を歩く。

 川の水はとても綺麗で、三島の目的である「清流を感じたい」を全身で体感できた。

 立ち止まってはせせらぎを聞いて写真を撮って、端から見れば怪しいかもしれないが、とても心が洗われる道である。夏は蛍も飛ぶのだとか。

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 ここなら無限に歩けるなあ、と思っているところで、道が終わり、再びふつうの道路に戻る。次は柿田川公園に向かう。

 

 柿田川公園までの道は、国道1号線を歩いた。この道は、東京日本橋から始まって、大阪梅田まで続いているのか。大学時代、よくドライブに連れて行ってもらい、深夜の1号線を走っていたことを思い出す。1号線沿いの枚方TSUTAYAはまだ健在なのだろうか。ああ右手に富士山が見える。

 一瞬だけ、感傷にも似た感慨にふけってみたものの、国道沿いの景色で全てが吹き飛んだ。チェーンの飲食店、チェーンの飲食店、チェーンの飲食店、ガソリンスタンド、ディーラー、チェーンの飲食店、ディーラー、11月下旬にさしかかっているのに元気な太陽、チェーンの飲食店、見えなくなった富士山。地元にもあるような面白みのない景色が続き、ちょっとだけ心が折れる。国道沿いって仕方ないよね。

 

 30分ほど歩いて、柿田川公園に到着。

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 湧水の様子が見える。とてものどかな公園だった。(トイレもとても綺麗)

 柿田川の水を買って、ベンチで一休みをし、お腹がすいたなと思いながら、次どうするかを考える。三島での目的は果たしたので、次は沼津である。歩いても1時間程度で次の目的地に行けそうだったので、歩いて向かうことにした。

 

 やれやれ、面白みのない道がまた続くのかなんて思いながら、歩き始めて一つ目の信号を過ぎたあたりで、後ろからすごい早歩きのおじさんに抜かされた。抜かれる際に「こんにちは」と言われたので、とても驚いてしまった。私も歩くのは遅くはないと思うが、すごいペースだな、なんて思っていたら、おじさんは次の信号のところでスマホとにらめっこしつつ、道を確認していた。「さらばだ」と心の中で告げて、歩みを進めた。

 

 歩いている途中に八幡神社という神社を見つけた。富士川の戦いに出陣し、平家軍を破った源頼朝の元に、奥州平泉から義経が駆けつけ、その対面の際に二人が腰掛けたという「対面石」が残っているということで、立ち寄ることにした。

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 平家物語が好きな自分としては感慨深い場所だ。

 徒歩でないと出会えなかったなと思い「これだから徒歩旅はやめられないな」などと思う。面白みのない道という感想は一瞬で吹き飛んだ。私の特技は手のひら返しである。

 

 沼津へと向かい始めたところ、なんと前方に先ほどの早歩きおじさんを見つけた。神社に立ち寄っている間に抜かれたのだな、というか方向一緒だったんだなと思ったものの、おじさんの歩みは非常に早いので、また見えなくなった。

 

 沼津市に入り、途中から川沿いを歩けそうだったので、狩野川の河川敷を歩くことにした。向こうに山が見え、空も広々としていて気持ちが良い。

 ずっと音楽を聴いていて(旅の定番はくるりスピッツ)、地図も起動させていたので、スマホのバッテリーがかなり減っていた。

 旅のおとものモバイルバッテリーを鞄から引っ張りだし、差し込む。充電が開始されなかった。おやおや?

 バッテリーのボタンを押すと、最後の一つのライトが力なく点滅している。空だったのである。久しく旅に出てなかったから、その間にすっからかんになっていて、準備の際に確認も怠って、ただ無用な荷物を一つ増やしただけだった。

 これはまずいぞ。これからの道だって、帰りの電車だって、調べる術はスマホだけなのに、と思い、泣く泣く音楽を切って「沼津市・充電できる場所」で検索をかけた。沼津駅前のカフェがヒットしたが、駅前に行くのは遠回りだし、地元のご飯も食べたいしと、帰りの電車に乗る前に寄ることにした。

 

 目的地は千本浜だから、最悪河口まで歩けば海になるはずだと、地図も諦め歩き始めたところ、後ろから「ザシュザシュ」と威勢のいい足音が聞こえた。

 おじさんである。どこかで迷ったのか、別のルートを歩いたのかわからないが、私はどこかでおじさんを抜いていて、こうしてまた3度目の邂逅を果たしたのだ。

 お互い、1時間かけて沼津まできたんですね、と最後は親近感を覚えつつ、おじさんはまた消えていった。

 

 海の気配と、地図の記憶を頼りに、千本浜に向かう。途中、コンビニに寄り、モバイルバッテリーを見たが、この値段を払うのか……と躊躇い、結局買わずに店を出た。

 時間は14時を回り、お腹も減っていた。飲食店はないかなあと思っていたところ、うなぎ屋さんを見つけ、迷わず入店。

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 水分補給。静岡の友人のところに遊びに来たときも飲んだけれど、静岡麦酒、美味しいんですよね。

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 もちろん鰻も美味しかった。

 今回はカメラを持ってきていたので、写真だけは気にせず取れて良かった。

 

 気力と体力が回復したところで、再び千本浜を目指す。若山牧水記念館は、牧水が愛した千本浜にある。

 「文学のみち」を歩く。千本松原が隣に広がっている。道の途中に記念館はあった。

 記念館は、会議室などが開放されているようで、地元の人がたくさんいた。ほのぼのとしている中、公務員の悪口を言う団体さんがいて胃が痛い思いをする(○○を辞めさせたいという不穏な話をしていた)

 館内は撮影可とのことで、写真を撮らせてもらう。

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 入り口にこちらがあった。このブログのタイトルの由来になっている短歌だ。やはりとてもよい。我々はどれだけ山と川を越えたらいいんだろうね……。

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 既婚者への恋に苦しんでいるときの短歌だそう。この「旅」が中心になっている生き様が、とても好きだ。

 牧水は旅とお酒を愛した。紀行文を読んでも、とにかく飲んでいる。良い。

 しかしその愛する酒が原因で、病に倒れ、43歳という若さで永眠する。

 

 牧水は沼津を、沼津の千本松原に魅せられ、一家を挙げて沼津に移住している。千本松原の伐採計画が立ち上がった際には、新聞に反対意見を寄稿している(「沼津千本松原」)。

 松原には「幾山河」の歌碑もあるということで、続いて千本松原へ。

 

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 どっしりとした松林が広がる。千本松原には、若山牧水だけでなく、井上靖や明石海人の文学碑や歌碑もあった。明石海人はハンセン病に罹患し、苦難の道を歩んだ歌人だそうで(知らなかった)今度本を読んでみようと思う。「深海に生きる魚族のように 自らが燃えなければ何処にも光はない」という言葉が響く。

 

 最後は千本浜へ。

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 目の前に広大な海が広がっていた。砂浜ではなく、礫浜だったので、汚れも気にせず波打ち際に座って、海を眺めることにした。

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 水が美しい。

 

 充電の切れかけたスマホのことも、ままならない人生も、ちっぽけな問題だなと思うくらいに海は広かった。気付けば1時間近く海を眺めていた。

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 雲が流れて、富士山も見えた。若山牧水が愛した風景。ただ美しい。

 生きているなあと思った。

 

 まだまだ海を眺めていたかったが、日も落ちかかってきたので、沼津駅へ。

 正確な場所がわかっている訳ではないけれど、とにかく北上すれば大丈夫そうだと足を進める。途中コンビニで充電器を買った。今までCコネクタの充電器を持っていなかったので、ちょうどいいと自分に言い聞かせながら。

 沼津駅前のドトールで充電ができそうだったので入店。酸っぱくないホットコーヒーと電源に感謝しつつ、充電残り5%のスマホを復活させた。ありがとうドトール……。

 

 大満足の旅を終え、17時36分沼津駅発。三島で降り、新幹線に乗り換え。

 新幹線の待ち時間で、気付けば静岡おでんとわさび漬けを購入していた。

 18時27分、三島発。うとうとしている間に東京着、19時45分。歩いた距離は21.3キロで、ふくらはぎが筋肉痛になった。

 

 翌日夜、日本酒と共に静岡おでんとわさび漬けを食べた。ここまでここまでと思いつつ、お酒がすすむ。旅とお酒、最高ですよねと、若山牧水を思った。

 

 若山牧水に興味のある方は、岩波(緑帯)の「新編 みなかみ紀行」を読んでみてください。紀行文もさることながら、詩の「空想と願望」が特に良いです。

ありがとうフィットボクシング

 Nintendo Switchのフィットボクシング2にめちゃくちゃハマっている。

 体調が悪かった日を除いて、なんだかんだ購入した日から毎日続いている(これを書いている日で76日目)。運動習慣が全くなく、根性もない人間がこれだけ続くのは、ひとえにフィットボクシングの手軽さ、ハードルの低さのおかげだ。

 今日はそのフィットボクシングの良いところ等についてつらつらと書きたい。

 

◇フィットボクシングのいいところ

・始めるまでに時間がかからない

 Nintendo Switchのホームボタンをポチッ!と押して、その間にヨガマットをえいやっと転がし、ジョイコンを握ればもういつでもスタートできる状態になる。面倒くさがりの自分には大変ありがたい手軽さである。(パッケージ版を買った同僚は、ソフトの入れ替えが面倒くさいということで、ゼルダの伝説が終わるまではしばらくできないと言っていた。面倒くさがりの人は参考にしてほしい)

 

・家でできるから何も気にしなくていい

 家ででき、(独り暮らしというのもあるが)誰も見ていないので、下半身はパンツ、上半身はパジャマ(時々ブラのみ)という破廉恥な格好でも気にせず運動ができる。

 そして、パンチを打つ自分の姿はきっと愚かな姿なのだろうが、誰にも見られないので、全く恥ずかしくない。トレーナーの呼びかけに「ハイッ!」と答えたり会話したりしても大丈夫。

 昔、ジムに通っていたことがある。久々に行ったときや、筋トレのマシンを使おうとしたとき、どこからともなく爽やかな(漫画は「ワンピース」しか読んだことがなさそうな)バイトくんが現れ「しなのさん!久々ですね!またここから頑張りましょう!」「ハムストリングスのこの部分を意識して動かすんですよ!」と話しかけられることがあった。本当に苦痛だった。ふうふう言いながらマシンを動かす私はさぞ滑稽だったと思う。1度そんなことを思ってしまうと、ジムからは自然に足が遠のいた。結局、行きもしないのに安くない月謝を払い続け、転勤のときに退会した。

 

・運動目的(強度)やどこを鍛えたいか(効果)が選べる

 「健康維持」「ダイエット」「体力強化」といった運動の目的や、どこを鍛えたいか(効果)が選べるので、自分に合ったキツさで運動ができる。

 私はこれといった運動習慣もなかったので(こんなに継続して運動しているのは、大学の体育の授業以来ではないかと思う。10年以上前…)最初は「ダイエット」を選び、身体が慣れてきたところで「体力強化」にコース変更した。鍛える部位はヒップとしている。

 

・デイリーモードとフリーモードがある

 毎日やる「デイリーモード」と、自分でコースを選べる「フリーモード」がある。デイリーを基本的には進めていくという方法で活用しているが、コースを自分で考えなくていい(ゲーム側で勝手に組んでくれる)ので、とても楽である。

 現在は、ストレッチなしの30分にしており、時間があるときは40分に変更したり、早く帰ってこられた日には帰宅後にフリーをするなどしている。

 

・やはり暴力……!暴力は全てを解決する

 何も考えず黙々とパンチを打つのは、結構なストレス発散となり、精神衛生上とてもよいと思う。仕事で理不尽な怒られや炎上が発生したとき、帰宅後黙々とフリーモードをこなしたことがあったが、ハイスコアを更新し、気持ちもすっきりした。

 身体を動かす行為そのものが良いことなんだろうが、動作の基本がパンチなので、すっきり度は上がると思う。むかつく相手が目の前にいると思って、ジャブ!フック!ストレート!

 

◇フィットボクシングを続けて出た効果

・痩せた

 まだまだダイエット中で、やっているのもフィットボクシングだけという訳ではないけれど、導入時点から3ヶ月で8キロ痩せた。減らなかった体脂肪もゆるゆるとではあるが減っている。これまでダイエットしようかな~うん~~と思っては、途中で辞めていた身なので、今回これだけ続けられているのは、冒頭にも書いたとおり、この手軽さやハードルの低さのおかげだと思う。

 

・朝型に戻った

 地元にいる頃は結構朝型の生活をしていたが、東京に来て夜型となり、朝もギリギリまで寝る!という最悪スタイルになってしまっていた。

 しかし「毎日フィットボクシングをしたい」という気持ちと、自分のライフスタイル(帰宅が基本22時過ぎ)を考えたとき、帰宅後にデイリーやるのもしんどいな…日付変わるがな…となった結果、起床後すぐ運動することにした。起床時間を1時間強早め、最初はしんどかったが、もう2ヶ月弱続いている。

 そして朝運動して仕事に行くと、午前中の捗りが違う(気がする。当社比)。

 また、心療内科の先生にも「朝型に自力で戻せたということは、とても良いこと」と褒められた。

 私には理解のある彼くんがいるわけではないけれど、フィットボクシングがあれば立ち直れると思った。

 

 運動(あと掃除)は、やって後悔するものではないので、どんどんやっていくと良い。生活習慣も変わり、健康になる。そんな風に思うようになったのも、フィットボクシングのおかげだ。

 

 フィットボクシング、ありがとう。いい薬です。

 

いさぶろう号に乗って/肥薩線紀行(熊本~吉松)

※この記事は、九州コミティア・関西コミティアで頒布した「今日も旅ゆく 肥薩線紀行ほか」の「肥薩線紀行」の一部(熊本~吉松)を加筆修正したものです。本には載せていなかった写真も掲載しています。

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 「日本三大車窓」の一つ、肥薩線矢岳真幸駅間で見られる車窓風景を求めて、8月のある土曜日、私は旅に出た。

 

 熊本駅

 観光列車「いさぶろう一号」に飛び乗る。午前8時31分発。


 JR九州の「いさぶろう」「しんぺい」号は、人吉駅と吉松駅を結ぶ観光列車としての性格が強い列車だ。一日二往復しており、一往復が熊本駅発着に延長されている。今回私が選んだ列車も熊本駅発だ。終点の吉松駅までは約3時間。


 「いさぶろう」は下り(人吉→吉松)「しんぺい」は上り(吉松→人吉)を指している。愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉~吉松間が建設された当時の逓信大臣・山縣伊三郎、「しんぺい」が当時の鉄道院総裁・後藤新平に由来する。矢岳第一トンネルの矢岳側入り口に山縣の「天険若夷」、吉松側に後藤の「引重致遠」の扁額が残ることにちなんだものである。
 車体は深い赤色をしていて、内装はぬくもりのある木製、壁紙もお洒落で洗練されている。窓も大きく車窓を楽しむのに申し分ない列車だ。


 熊本から八代までは田園と民家を車窓に走る。私は進行方向向かって右側の席に座っていたので、遠く雲仙や島原も見えた。山は良い。しかし、天気が少しずつ怪しくなってきていた。雨こそ降らないが、完全な曇り空だった。スマホのアプリは頑なに「晴れ」と主張しているが、どう見ても空を十割雲が覆っている。福岡はあれだけ晴れていたのに、霧島連山は綺麗に見えるだろうかと不安がよぎった。
 途中、虫取り網を持った少年たちがあぜ道を走る光景を目にし、「正しい夏」を見せつけられたような気がして胸がつまる。

 そうこうしているうちに、八代駅に停車。


 八代駅から肥薩線となる。
 八代駅を出て、日本三大急流の一つ球磨川沿いを走る頃には、ぐっとローカル線の趣きとなる。川の色はエメラルドグリーン、途中アユ釣りをしている人も見かける。
 木曽川沿いを走る中央本線(西線)を思い出した。

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 球磨川を渡る橋梁も見所だ。球磨川第一橋梁・第二橋梁はともに明治41(1908)年の完成で、アメリカの技術が用いられている。石とレンガでできた橋脚と「トランケート式」という珍しい構造のトラス橋で全国にここだけしかないとのこと。「いさぶろう」号の中では、橋の歴史について解説してくれる他、橋を渡るときは徐行してくれる。(※今回の豪雨で球磨川第一橋梁・第二橋梁ともに流失してしまいました)


 球磨川と山の景色に、再び民家が現れてきたなと思っているうちに、人吉駅に到着。突然今までとは異なる街の景色になるので驚いた。城下町として栄えただけある。

 

 人吉駅には4分程の停車だった。小京都といわれ、鎌倉時代から明治時代の廃藩置県まで相良氏による統治が行われていたこの人吉という土地に興味がわいたが、今回はここが目的地ではないので、散策はできない。名残惜しさを感じながら午前10時8分、人吉駅出発。


 人吉~吉松 肥薩線熊本県八代市八代駅から、鹿児島県霧島市隼人町隼人駅まで、熊本・宮崎・鹿児島の三県にわたる路線距離124.2キロを走る鉄道路線で、明治42(1909)年11月に開通した。人吉から吉松まで、1時間をかけ峠を越える。


 人吉駅を出発してからは、列車はひたすら山を登っていく。いくつかのトンネルを抜け、まず始めに到着するのが大畑(おこば)駅だ。大畑駅には4分程の停車。
 大畑駅ループ線の途中にあり、スイッチバックを併せ持つ日本で唯一の駅である。開業当時に走っていた蒸気機関車のために設けられた信号所と給水所としての役割が大きかった駅とのこと。
 駅舎には、無数の名刺が貼り付けられている。話には聞いていたが、本当にすごい量で驚いた。神社の絵馬のようである。
 元は観光客が訪問した記念に名刺を貼り付けたものらしい。それがいつしか大畑駅に名刺を貼ると出世するなんて風に話が広まり、今に至る。噂の力は恐ろしいなと思う。
 何枚か写真を撮って、車内に戻る。大畑駅は駅を出るところからが面白い。


 列車は大畑駅をバックしながら出て、一旦停車する。運転手さんが車内を通り抜けて、進行方向の運転席に戻る。ここからループ線に入る。小さなトンネルを抜け、
300メートルの半径を描きながらループの稜線を登り切る。まさに山岳列車だ。眼下に大畑駅が小さく確認できるところで列車を一時停車してくれる。

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 ループ線スイッチバックも、急勾配を緩和させるために用いられるものである。つまり鉄道の難所だ。明治時代の人の苦労を思う。


 次の矢岳駅では5分ほどの停車。
 木造の駅舎が趣深い。矢岳駅は海抜536.9メートルに位置しており、肥薩線の最高地点にある駅である。
 吹く風もどこかさわやかだった。同じ列車に乗っている人たちがSL館に走る中、駅舎の写真を撮り、一人車内に戻る。矢岳駅を出たら日本三大車窓が見られる。ベストポジションを確保しておきたかった。
 日本三大車窓を見るなら、進行方向左側の席が良い。
 私の場合は、予約の段階で窓際の指定はできたが、左右どちらかを選ぶことができなかったので、天に任せていた。結果は反対側の席。車内は混んでいなかったので、指定席ではない、窓の大きい展望スペースを確保した。


 矢岳駅を出発した電車は、矢岳第一トンネルにさしかかった。ここは入り口に先述した「天険若夷(てんけんじゃくい)」天下の難所を平地のようにしたという意、「引重致遠(いんじゅうちえん)」重いものを遠くへ運べるという意、の石額が埋め込まれているトンネルである。

 矢岳第一トンネルの工事は難工事であった。人里離れた山奥で、資材搬入の困難に見舞われたほか、湧水が多く、運搬用の馬が溺死したというエピソードが残るほど。
 3年以上の月日をかけ、苦心の末に掘り上げたのは肥薩線最長の隧道。そしてこの矢岳第一トンネルの開通を以って、青森駅から鹿児島駅までの日本列島を縦貫する鉄道網が繋がった。


 矢岳第一トンネルを抜けると、電車が一時停車する。この旅の一番の目的である車窓風景だ。

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 懸念していた曇り空は晴れとなり、遠く霧島連山を臨むことができた。雄大な山々と、眼下にはのどかな田園風景が広がる。運が良ければ、鹿児島の桜島も見えるということだったが、あいにく霞んで見えなかった。それにしても良い景色だ。乗客も皆、写真を熱心に撮っている。停車中は窓を開けても構いませんよ、と車掌さんに言われ窓を開ける。涼しい風が頬を撫でた。


 いつまでも見ておきたいほどの景色だったが、そういうわけにもいかないので、窓を閉め再び出発。


 峠越え最後の駅、真幸(まさき)駅で再びスイッチバック肥薩線は、ループ線スイッチバックと、日本の鉄道を楽しむのに素晴らしい路線だなと改めて感じる。


 真幸駅でも5分程の停車。
 「真の幸せに入る」に通じるということで、駅には「真幸」に因んだグッズなどを地元の方が売っていた。ホームには鳴らすと幸せになるという「幸せの鐘」があり、
乗客はそこに並んでいた。
 私はそんな鐘を鳴らそうとするヤワな女ではない、と鼻を膨らまして、ホームの端にある「山津波記念石」の写真を撮りに行った。
 約八トンの巨大な石が、山津波によりこんなところへ押し流されてくるなんて、と自然災害への恐怖を改めて感じた。実際、駅周辺に集落があったそうだが、度重な
る土砂災害により住民が移転したとのこと。


 列車に戻ろうとしていたとき「幸せの鐘」に誰も並んでいないことに気がついた。時間はまだ2分程あった。

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 ちょっと幸せな人は1回、もっと幸せな人は2回、いっぱい幸せな人は3回鳴らすとされているらしい。気が付いたら、かなりの力で5回以上鳴らしていた。
 結局は私も鐘を鳴らす女だったということだ。幸せになりたかった。


 真幸駅を出発し、2番目に通るトンネルには悲しい歴史が残る。終戦直後、吉松駅から復員兵をのせた列車がトンネルを登りきれずに立ち往生した。列車内は煙が充満し、苦しさと暑さで、乗客が列車外へと避難する中、列車がバックし、56人もの犠牲者を出す事故が発生した。その復員軍人殉難碑がトンネルの側に立っている。

 

 「いさぶろう」号の終点、吉松駅には11時22分に到着。
 熊本から3時間近く列車に乗っていたが、その時間を感じさせない程楽しい鉄道の旅だった。まだ先があるなら乗っていたいくらいだ。道中、観光のポイントで解説のアナウンスも入るので、とても楽しかった。


 先人が山を切り開いて、必死の思いで作った肥薩線だが、利用者は少なく、人吉~吉松間は一日三往復しているのみである。一時期廃線も取り沙汰されていたとのことだが、JR九州が観光資源に着目したことで、観光路線としての整備が進められており、私もこうして乗ることができた。素敵な路線なので、今後も盛り上がっていってほしいし、また乗りたいと思った。

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旅はひとりがいい

 ひとりきりで行く旅が好きだ。

 

 「次の電車まで1時間あるけどホームのベンチでゆっくり待とう」とか、逆に「時間的に厳しいから少し早歩きで目的地に向かおう」とか、無茶な行程を組んでも誰にも怒られないし、ランチで無理に並んでご当地グルメを食べなくてもいい。晩ご飯を済ませた後、コンビニやスーパー等でご当地のおつまみとビールを買って、ホテルでその地方にしか流れないCMにニヤつきながら、飲み直しをするのも最高だ。

 好きな音楽を聴きながら、誰にも邪魔されずに、流れていく車窓風景をぼんやり眺められるのも良い。興味のあるスポットに気兼ねなく行けるし、名所旧跡の案内板をじっくり読んでも変な顔をされなくて済むし「なんて書いてあるの?」「(説明)」「ふ~ん(興味なし)」といったやりとりも発生しないからイライラすることもない。

  

 ひとり旅ではTwitterが大活躍する。

 自分の思っていることをただ吐き出す。頭は整理されるし、例外はあるけれど、基本的に「いいね」「RT」の把握以上のコミュニケーションが見えない。公の壁打ち。わたのような人種にとって、Twitterは画期的なツールだと思う。いつもありがとうございます。

 

 こういう話をすると「寂しくないの?」と驚かれる(のと同時に友達がいないのかと憐憫の目を向けられる)ことが多いけれど、さみしいと感じたことはない。

 何よりも、結論の出ない行程のすり合わせ、城に行きたいのに却下された、なのに興味のないスポットへ行かなくてはいけないのか、せっかくこんな遠くに来たのに、公共交通機関のルート検索もろもろ、複数人になった途端めちゃくちゃ面倒になる。そして旅館でのお風呂と食事の時間調整と朝風呂行く行かない朝ご飯食べる食べない派との調整が、本当にしんどい。

  旅行ではなく、キャンプであったり、観光するわけでもなくただ集まってお鍋を囲んだり、夜通しカードゲームをしたり等はただひたすら楽しいのに、旅になった拒絶反応が出る。

 「思い思いに行動して気にしなければいいじゃん」と言われてもどうしても気になる厄介な性格と、他者への許容の度合いが年々狭まっているのが原因だと思う。後者がヤバいのは自覚している。が、好きなことくらい好きにさせてほしいとも思う。

 

 恐ろしいのは、この考えを全くと言っていいほど理解してくれない人種というものがいることだ。しかも(主観ではあるけれど)かなりの数。

 

 今日も「ヒトカラの女はナンパ待ちだ、と思う人間がいる」という世にも恐ろしいツイートが流れてきて震えた。どういう思考回路をしているか聞きたい。

 この例は極端にしろ「ひとり……かわいそう」という考え方をする人もいて、一人旅が好きだという話をした後に「今度声かけてよ」と言われてひっくり返ったこともある。お前はこれまでの話を聞いていたのか。一人がいいから一人でいるんだよ。

 

 その中でゆるキャン△は衝撃的だった。

 「みんな常に一緒にキャンプ行こうね」という圧力もなければ、リンのソロキャンを「なんで一人で行くの」「みんなが楽しいよ!」とゴチャゴチャ言うやつもいない。みんなそれぞれ自立もしていて、SNSで綺麗な景色の写真を送りあう……最高か?と思う。この姿勢を理解してほしいので、人類はみなゆるキャン△を読むよう義務化してほしい。

 

 話がだいぶ逸れてしまったが、とにもかくにも、自由気ままな一人旅というのも良いものなので(魅力は冒頭記載のとおり)興味があるけど勇気がないよ、という人は近場から試してほしい。

 そしてひとり旅の人口を増やして、理解のない人種を駆逐できたらいいなと思います。

休日出勤をやめて旅に出た話~長崎県・千綿駅

 3~4月は連日深夜帰りで、土日も仕事に出ることがほとんどだった。仕事が片付いていないという事実があるからやむを得ないが、心は静かに死んでいく。

 

 GW初日の土曜日も職場に行くつもりだった。あくまで「自主的」な出勤のため、時間の制限はないから、9時半くらいまでぐっすり寝ていた。もそもそとベッドから這い出し、遅い朝食を食べ、洗面を済ませ、化粧台に向かったのは11時近く。鏡に映った外はやけに天気が良く、空気も澄んでいた。


 明日もどうせ出勤するんだからと綺麗に片付けなかった職場のデスクを思ったとき、心の底から「なぜ、今日仕事に行かなくてはいけないのか」と思ってしまった。一度思ってしまったが最後、もうあとはひたすら行きたくない。
 GWは10連休だ。明日からは天気も崩れるらしい。旅に出るなら今日しかない。仕事は今日行かなくても、別の日に行けばいい。


 そう思ったとき、以前から行ってみたいと思っていた長崎県にある大村線千綿駅」が浮かんだ。青春18きっぷのポスターにも採用されたことのある、海に面した駅だ。珍しく霞もないこの晴天だ。きっと青が美しいに違いない。しかも、この時間から出ても日帰りで行けるギリギリの距離だ。
 両親には「仕事に行く」と言って、一眼レフを鞄にしまい、博多駅へと向かった。

 

 GW初日とあって、博多駅は大変な混雑だった。車内で食べるパンとコーヒーを買い、特急つばめを待つ。指定席は予約で満席だったため、自由席の列に並んだ。雲仙普賢岳有明海を臨める、進行方向左の窓側の席を狙っていたが、無事に確保でき、一安心する。乗換駅である諫早駅まで、あとは音楽を聴きながら、車窓を眺めるのみ。


 つばめは博多駅を出発した。私はこの出発の瞬間がたまらなく好きだ。


 佐賀平野の広大な田畑とクリーク、有明海と遠くに見える対岸の福岡の風景を横目に、つばめは走って行く。
 長崎本線は、雲仙・普賢岳が間近に見える。普段は晴れて、空気の澄んだ日にその山容を確認する存在を近くで捉えることができ感動する。裾野も広大で、また、珍しい山の形に畏怖を覚える。


 そうこうしているうちに諫早駅に到着した。ここで大村線に乗り換える。
 諫早から千綿駅までは六駅、区間快速に乗ったので、二五分ほどで到着した。
 松原駅を出ると、電車は左手に海を望む。大村湾だ。

 

 千綿駅に着いた。下車したのはわたし一人だったが、駅には写真を撮りに来ている人がたくさんいた。女性グループが多く、インスタに載せる写真を撮っているようだった。日頃、インスタ映えハッシュタグ作文だと物申している身であるが、この景色だ、誰かに共有したくなる気持ちもわかる。

 

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 路線向こうに、一面の青が広がっていた。凪いだ水面に太陽が反射して、きらきら光っている。
 千綿駅の駅舎は木造で、とても趣深い造りだ。今は駅舎に「千綿食堂」というお店が入っていて、そこで食事を楽しんでいる人もたくさんいた。駅の仕事も一部担っているようで、切符もここで購入できるという。


 ひとしきり海の写真を撮ったあと、せっかくなので千綿食堂に入った。ホットコーヒーと帰りの切符を購入する。駅らしさを残した内装で、外界よりもゆっくりと時が流れていた。お客さんの一人が「とてもいい場所ですね」と店員さんに声をかけていた。わかる、わかるよ、と心の中で賛同した。


 帰りの時間の関係上、千綿駅の滞在時間は一時間ほどだった。千綿食堂を出て、ホームのベンチで列車を待つ。眼下に広がる海を見ていると、さわやかな風が頬を撫でた。

 久々に、のんびりとした時間を過ごしている。いつも何かに追われている気がする日常から遠く離れて、最近、余裕がなかったんだな、と改めて痛感する。人生一度きり、仕事ばかりしていられない。近場でも遠方でも、またこうして旅に出ようと思った。


 名残惜しいが、帰りの電車がやってきたので乗り込む。行きと同じルートをとって、博多まで出た。


 時間を割いて観光するわけでもなく、車窓と、見たかった景色を見るだけの短い日帰り旅。ただ、ぼーっと流れていく景色を見て、旅先の素敵な風景に出会うだけで、心はずっと軽くなる。
 いろいろと、疲れたときこそ外に出よう、としみじみ思った旅だった。みなさんも、思いついたらふらり、と旅に出てみてほしい。海の見える駅なんかが、特におすすめです。(了)

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令和元年5月26日

関西コミティアの無料配布ペーパー

日曜日に更新するような記事じゃなかった気しかしない

(働きたくない)