三島・沼津紀行
人生がままならないので、なんだかでっかい山と海が見たいなと思い、どうせ行くなら行ってみたい場所があるところへと、当日の0時を過ぎたところで静岡の沼津に行くことを決めた。沼津には、このブログのタイトルの由来となっている「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」という短歌を詠んだ若山牧水の記念館がある。行程を調べてみたら、以前から興味のあった三島にも行けそうな雰囲気だったので、三島にも行くことにした。
11月20日8時30分、東京駅。
コロナの感染者が落ち着きつつあるからか、朝から東京駅には信じられないくらいの人がいた。勤労感謝の日が火曜日ということで、月曜日に有給を使って、4連休を錬成して旅行に行く人も多そうだ。ネットで予約したチケットの発券にも一苦労だ。みんなパネルの操作に手間取っており、連休を感じる。
特急踊り子は9時ちょうど発である。どうしてもコーヒーを持ち込みたかった。余裕を持って駅に着いたはずなのに、売っている場所が見つからない。博多駅は構内にファミマがあるのに、そういや東京駅構内にコンビニがないなとうろうろする。別にオシャレなコーヒーじゃなくていいのにとベソをかきつつ、パン屋の傍らでコーヒーが売られているのを見つけた。しかし長蛇の列で、並ぶとギリギリになりそうだったが、どうしてもコーヒーを飲みたいので待つことにした。そういう時に限って、前の客がアイスレモネードだチャイだと時間がかかるものを頼む。発車まであと5分弱というところで、ようやく買えた。零さずに注意を払いながら、少し早足で踊り子に乗り込む。間に合った。
9時00分、東京駅発。
絶対に買うぞと意気込んで買ったコーヒーが、すっぱかった。酸味の強いコーヒーは苦手なのでめちゃくちゃへこむ。しかもラージサイズを購入してしまった。冷めるとますます飲みたくなくなるので、電車が南へ向かう中、黙々とコーヒーを飲んだ。
踊り子は横浜を過ぎる。これまで電車で南下したのは横浜までだったので、ここからは全く知らない街だ。車窓から見える洗濯物を見ながら、見知らぬ人、そして永遠に私の人生と交わることのない人たちの生活を思う。こういうときにはくるりの曲を聴くに限る。しかし磔のように不思議な干し方をする人もいるんだなあ。
流れていく駅名を見ながら、ここが大船!などと思っていると、富士山が見え始めた。嬉しい。今日は最終目的地の沼津・千本浜で富士山を見たいと思っていたところだ。このまま雲がかからないといいけれど、と思っているところで、トンネルの数が増えていき、10時38分、三島駅着。
まずは三嶋大社に向かう。
三嶋大社は、伊豆国一の宮で、源頼朝が源氏再興を願った神社としても有名な神社である。頼朝の描かれた絵馬もあるとのこと。
境内は七五三の家族連れでいっぱいだった。千歳飴をもう食べさせてくれと親に訴える子、鎧のようなかっこいい格好をしている子、着物が嫌だと不機嫌な子など、たくさんいて微笑ましい気持ちになる。私も着物の帯が苦しくて苦しくて、しんどかったことを思い出した。そのときはちょうどおかっぱ頭で、えらく渋い顔をした座敷わらしのような姿を写した写真が実家に残っている。
参拝を済ませ、源兵衛川のせせらぎ散歩へ。
「本当にこの道は通って大丈夫なのか?」という懸念を抱きつつ、写真のような散歩道を歩く。
川の水はとても綺麗で、三島の目的である「清流を感じたい」を全身で体感できた。
立ち止まってはせせらぎを聞いて写真を撮って、端から見れば怪しいかもしれないが、とても心が洗われる道である。夏は蛍も飛ぶのだとか。
ここなら無限に歩けるなあ、と思っているところで、道が終わり、再びふつうの道路に戻る。次は柿田川公園に向かう。
柿田川公園までの道は、国道1号線を歩いた。この道は、東京日本橋から始まって、大阪梅田まで続いているのか。大学時代、よくドライブに連れて行ってもらい、深夜の1号線を走っていたことを思い出す。1号線沿いの枚方のTSUTAYAはまだ健在なのだろうか。ああ右手に富士山が見える。
一瞬だけ、感傷にも似た感慨にふけってみたものの、国道沿いの景色で全てが吹き飛んだ。チェーンの飲食店、チェーンの飲食店、チェーンの飲食店、ガソリンスタンド、ディーラー、チェーンの飲食店、ディーラー、11月下旬にさしかかっているのに元気な太陽、チェーンの飲食店、見えなくなった富士山。地元にもあるような面白みのない景色が続き、ちょっとだけ心が折れる。国道沿いって仕方ないよね。
30分ほど歩いて、柿田川公園に到着。
湧水の様子が見える。とてものどかな公園だった。(トイレもとても綺麗)
柿田川の水を買って、ベンチで一休みをし、お腹がすいたなと思いながら、次どうするかを考える。三島での目的は果たしたので、次は沼津である。歩いても1時間程度で次の目的地に行けそうだったので、歩いて向かうことにした。
やれやれ、面白みのない道がまた続くのかなんて思いながら、歩き始めて一つ目の信号を過ぎたあたりで、後ろからすごい早歩きのおじさんに抜かされた。抜かれる際に「こんにちは」と言われたので、とても驚いてしまった。私も歩くのは遅くはないと思うが、すごいペースだな、なんて思っていたら、おじさんは次の信号のところでスマホとにらめっこしつつ、道を確認していた。「さらばだ」と心の中で告げて、歩みを進めた。
歩いている途中に八幡神社という神社を見つけた。富士川の戦いに出陣し、平家軍を破った源頼朝の元に、奥州平泉から義経が駆けつけ、その対面の際に二人が腰掛けたという「対面石」が残っているということで、立ち寄ることにした。
平家物語が好きな自分としては感慨深い場所だ。
徒歩でないと出会えなかったなと思い「これだから徒歩旅はやめられないな」などと思う。面白みのない道という感想は一瞬で吹き飛んだ。私の特技は手のひら返しである。
沼津へと向かい始めたところ、なんと前方に先ほどの早歩きおじさんを見つけた。神社に立ち寄っている間に抜かれたのだな、というか方向一緒だったんだなと思ったものの、おじさんの歩みは非常に早いので、また見えなくなった。
沼津市に入り、途中から川沿いを歩けそうだったので、狩野川の河川敷を歩くことにした。向こうに山が見え、空も広々としていて気持ちが良い。
ずっと音楽を聴いていて(旅の定番はくるりとスピッツ)、地図も起動させていたので、スマホのバッテリーがかなり減っていた。
旅のおとものモバイルバッテリーを鞄から引っ張りだし、差し込む。充電が開始されなかった。おやおや?
バッテリーのボタンを押すと、最後の一つのライトが力なく点滅している。空だったのである。久しく旅に出てなかったから、その間にすっからかんになっていて、準備の際に確認も怠って、ただ無用な荷物を一つ増やしただけだった。
これはまずいぞ。これからの道だって、帰りの電車だって、調べる術はスマホだけなのに、と思い、泣く泣く音楽を切って「沼津市・充電できる場所」で検索をかけた。沼津駅前のカフェがヒットしたが、駅前に行くのは遠回りだし、地元のご飯も食べたいしと、帰りの電車に乗る前に寄ることにした。
目的地は千本浜だから、最悪河口まで歩けば海になるはずだと、地図も諦め歩き始めたところ、後ろから「ザシュザシュ」と威勢のいい足音が聞こえた。
おじさんである。どこかで迷ったのか、別のルートを歩いたのかわからないが、私はどこかでおじさんを抜いていて、こうしてまた3度目の邂逅を果たしたのだ。
お互い、1時間かけて沼津まできたんですね、と最後は親近感を覚えつつ、おじさんはまた消えていった。
海の気配と、地図の記憶を頼りに、千本浜に向かう。途中、コンビニに寄り、モバイルバッテリーを見たが、この値段を払うのか……と躊躇い、結局買わずに店を出た。
時間は14時を回り、お腹も減っていた。飲食店はないかなあと思っていたところ、うなぎ屋さんを見つけ、迷わず入店。
水分補給。静岡の友人のところに遊びに来たときも飲んだけれど、静岡麦酒、美味しいんですよね。
もちろん鰻も美味しかった。
今回はカメラを持ってきていたので、写真だけは気にせず取れて良かった。
気力と体力が回復したところで、再び千本浜を目指す。若山牧水記念館は、牧水が愛した千本浜にある。
「文学のみち」を歩く。千本松原が隣に広がっている。道の途中に記念館はあった。
記念館は、会議室などが開放されているようで、地元の人がたくさんいた。ほのぼのとしている中、公務員の悪口を言う団体さんがいて胃が痛い思いをする(○○を辞めさせたいという不穏な話をしていた)
館内は撮影可とのことで、写真を撮らせてもらう。
入り口にこちらがあった。このブログのタイトルの由来になっている短歌だ。やはりとてもよい。我々はどれだけ山と川を越えたらいいんだろうね……。
既婚者への恋に苦しんでいるときの短歌だそう。この「旅」が中心になっている生き様が、とても好きだ。
牧水は旅とお酒を愛した。紀行文を読んでも、とにかく飲んでいる。良い。
しかしその愛する酒が原因で、病に倒れ、43歳という若さで永眠する。
牧水は沼津を、沼津の千本松原に魅せられ、一家を挙げて沼津に移住している。千本松原の伐採計画が立ち上がった際には、新聞に反対意見を寄稿している(「沼津千本松原」)。
松原には「幾山河」の歌碑もあるということで、続いて千本松原へ。
どっしりとした松林が広がる。千本松原には、若山牧水だけでなく、井上靖や明石海人の文学碑や歌碑もあった。明石海人はハンセン病に罹患し、苦難の道を歩んだ歌人だそうで(知らなかった)今度本を読んでみようと思う。「深海に生きる魚族のように 自らが燃えなければ何処にも光はない」という言葉が響く。
最後は千本浜へ。
目の前に広大な海が広がっていた。砂浜ではなく、礫浜だったので、汚れも気にせず波打ち際に座って、海を眺めることにした。
水が美しい。
充電の切れかけたスマホのことも、ままならない人生も、ちっぽけな問題だなと思うくらいに海は広かった。気付けば1時間近く海を眺めていた。
雲が流れて、富士山も見えた。若山牧水が愛した風景。ただ美しい。
生きているなあと思った。
まだまだ海を眺めていたかったが、日も落ちかかってきたので、沼津駅へ。
正確な場所がわかっている訳ではないけれど、とにかく北上すれば大丈夫そうだと足を進める。途中コンビニで充電器を買った。今までCコネクタの充電器を持っていなかったので、ちょうどいいと自分に言い聞かせながら。
沼津駅前のドトールで充電ができそうだったので入店。酸っぱくないホットコーヒーと電源に感謝しつつ、充電残り5%のスマホを復活させた。ありがとうドトール……。
大満足の旅を終え、17時36分沼津駅発。三島で降り、新幹線に乗り換え。
新幹線の待ち時間で、気付けば静岡おでんとわさび漬けを購入していた。
18時27分、三島発。うとうとしている間に東京着、19時45分。歩いた距離は21.3キロで、ふくらはぎが筋肉痛になった。
翌日夜、日本酒と共に静岡おでんとわさび漬けを食べた。ここまでここまでと思いつつ、お酒がすすむ。旅とお酒、最高ですよねと、若山牧水を思った。
若山牧水に興味のある方は、岩波(緑帯)の「新編 みなかみ紀行」を読んでみてください。紀行文もさることながら、詩の「空想と願望」が特に良いです。