今日も旅ゆく

いったりきたりの旅の記録

世界の果てを探して(令和5年10月/福岡県福岡市西区能古島)

 人生がままならないので、世界の果てを探してうろうろしている。

 朝晩が涼しくなってきて、やっと出かけられるようになってきた10月1日。能古島に渡るため、16時過ぎに姪浜船場にやってきた。 

 姪浜船場は、どこか哀愁漂う場所だ。ここからは、「能古島」と「小呂島」へ向かう船が出ている。小さい売店もあり、生ビールも売っている。いつか飲みたいと思いながら、船酔いが心配で、結局一度も飲んだことはない。

 この時間に島に渡る人は少ないのか、人はまばらで、待合所は静かだった。

 これから向かう福岡市西区能古島は、博多湾に浮かぶ人口約600人強の島で、古く『万葉集』にも詠われたこともある。姪浜船場から約10分、片道230円。福岡市民の身近な行楽地でもある。

 16時10分「レインボーのこ」が能古島からやってきた。のこのしまアイランドパーク等で休日を楽しんだらしい家族連れやカップルをたくさん降ろし、16時15分姪浜発。

 対岸に福岡タワーやPayPayドームを見ながら、船は能古島へと進む。

 気温的にはようやく朝晩に秋が顔を覗かせるようになったところだというのに、日没はどんどん早まって、冬の気配すら感じるくらいだ。既に秋分の日を越えているので、「秋の夜長」なんだと頭では理解しつつも、日が短くなると行程にも制約が出てくるため、夏さえ早く終わってくれたらもっと色々出かけられて良かったのにと思うが、地球の公転速度は変わらない。変わるのは気候だけで、人類の業を思った。

 

 16時25分、能古島着。今回は「コンクリート桟橋跡」を目指して歩く。

 出発前「コンクリート桟橋跡」へのルートを検索したら、下記の候補が出てきた。嘘をつくなと思った。絶対に途中から道がないルートだ。

 Googleマップは偉大ではある(いつもお世話になっている)ものの、前に由布院に行ったとき、明らかに人の家の土地を歩くルートを案内され、途方に暮れたことがあった(その後、リカバリーする道を見つけたが、蜘蛛の巣だらけで地獄だった)。

 航空写真を見ると、足下は悪そうだが、浜に沿って歩けば目的地まで行けそうだ。クチコミにも「海岸線をひたすら歩いてください」とあったので、そのとおりにする。歩けなさそうであれば、途中で引き返せばいい。

 「蒙古塚」を過ぎても、途中までは綺麗な舗装路が続いていた。舗装路の果てにはバリケードのようなものはあるが、立ち入り禁止とは書かれておらず、問題なく先に進めそうだった。続く浜が礫浜で、足下が悪そうな点を除けば。

 礫を踏み、足を捻り、途中よろめきながらも、黙々と進む。波の音は心地よく、景色もいいが、転ばないように歩かねばという緊張感と、岬が続くので、目的地が見えず、少し不安になってくる。

 また、湿っている礫を見て、今は干潮であるから歩けているだけで、潮が満ちれば、戻れなくなるのではという考えも過り「干潮 ピーク 能古島」で検索をする羽目になった。

 これだけ未整備なのに、途中、コンクリートのブロック塀なども転がっており、人がいた気配も感じられ「人類が滅亡した後の世界の雰囲気」がそこかしこにあった。

 岬を2つ程越えると、ようやく目的地が見えてきた。

 突如現れる、朽ちた人工物。

 コンクリート桟橋跡。採石場の遺構で、戦前から戦中にかけ、能古島で採取した石を積み出すために利用されていたらしい。

 沈んでいく夕陽と、風と波に晒され、朽ちていく橋の対比が、美しかった。

 世界の果ての一つだと思った。

 

 近くの石に腰掛け、ぼーっと橋と海を見る。

 人生がままならない。でも、ままならないなりに、ままならない人生をこれからもずっと続けなくてはならない。

 希死念慮はない。身近な人には幸せでいてほしいし、自分も普通に生きていたい。ただ、一方で、漠然と終末を期待している。

 そんな気持ちと折り合いをつけるために、私はこうやって、世界の果てのような場所を探して身を置くのだろうと思った。

 一時間弱滞在し、日も暮れかかってきたので、暗くなる前に渡船場へ戻る。

 

 18時30分、能古島発。日はすっかり落ちて、夜が降りた福岡市内が見えた。日頃生活している場所だが、ここにはたくさんの人が生きているのだということを、光を見て改めて思う。

 18時40分、姪浜着。そのまま西鉄バスに乗り、帰路につく。

 流れていく対向車のヘッドライトを見ながら、明日は早朝から遠方への出張が入っていることを思い出す。帰ったら、お風呂につかって、ビールを飲んで、ネイルを塗り直さなければ。世界の果てから現実に戻され、今回の彷徨は終わった。